スラブハンター、ベン・ウィルキンソンの木工品

by マルコム・ジョンソン


Hawaii

自営業にはある種の自由があること、そして波が巨大になってきたときはいつでもサーフィンに行きたければ、自由が第一条件であることをベン・ウィルキンソンが知るのに長くはかからなかった。

【 100年前にハワイにやってきたネムノキは世界で最も早く成長する木の種として知られている。それは自生の植物を抑圧する存在であり、またその大きさに比べて弱く、枝は簡単に折れ、人間とその所有物にとって危険だ。ここではベン・ウィルキンソンが新たに切り倒された巨大な木を製材している。写真:Travis Rummel 】

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災難訓練計画

by モーガン・ショーグレン

Frenchalps

「1日20か30か50マイル、山を超えて走るだけよ。たいしたことじゃないわ」

ジェン・シェルトンからツール・ド・モンブランを走る旅程を受け取ったとき、中距離の陸上ランナー(5Kを専門)の自分の経歴が、(フランス、イタリア、スイスの)3か国をつなぐアルプスのテクニカルな地形で9,144メートルの標高を稼ぐ105マイル(168キロ)のツール・ド・モンブランには役立たずなことを知り、みるみる乾いていく口でゴクンと息を飲んだ。私はこの規模のスルー・トレイルランニングが必要とする典型的な準備に欠けてはいたが(4日どころか1週間でも合計105マイルを走ることはない)、人生最大の走りをするためにみずからを準備する意欲は熱く、新しい山系を探求する熱意とわずか5日の予告でシャモニ行きの飛行機に飛び乗った。

【 フレンチ・アルプスの未知の美に突入するモーガン・ショーグレンとジェン・シェルトン。写真:Andrew Burr 】

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モンタナに悔いなし

by ディラン・トミネ(パタゴニア・フライフィッシング・アンバサダー)

Cover
子供たちが成長するにつれて、一緒に過ごす時間がいかに短く、貴重であるかということが、ますますはっきりとわかるようになる。また私にとっては、子供たちが私の人生の鍵となる人物たちとともに過ごすことも、これまで以上に重要となってきた。友人や恩師など、これまで私を刺激しながら助けてくれた人たちと接することで、子供たちにもそうした人たちの知恵や寛大な精神のお裾分けに与ってほしいという願いからである。そんな思いを胸に抱いていたのと同じ時期にスカイラとウェストンがフライフィッシングに強い興味を示すようになったので、私たちは東を目指してピュージェット湾を発った。そしてロッキー山脈で私の良き友イヴォンとクレイグに落ち合う。それは早朝のフェリー乗船からはじまった。

【 モンタナのマスが潜む水に足を浸し、乾燥した高原の景色を満喫するために上流へと向かうイヴォンと子供たち。写真:Dylan Tomine 】

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遊び時間を延長

Repairtechnicians

長持ちする機能と修理への忠誠 

使い捨てが当たり前のスキー/スノーボード・ファッションの時代にスノー製品を長く使うことは、私たちが知る最も急進的な行為です。私たちは平均でわずか3年しか衣類を所有しません。にもかかわらず新しい衣類の製造に要する素材と工程は、惑星にとってはとても高くつくものです。平均的なアメリカ国民は毎年36キロの衣類やその他のテキスタイル製品を捨て、その85%が埋め立て地行きとなります。捨てられる衣類のほとんどが再利用に適したものであるにも関わらず、寄付あるいはリサイクルされるのはそのわずか15%です。

 【 昨年の冬、裁断テーブルでカッコつけるリノの修理技師たち。左から右:シルビア・アギュレラ、リバー・リース、アンディ・クック、ジョラ・シープラ、クリスタル・ロバーツ、サン・カーン、クラレット・ガルシア、ネリー・ハーネンデス、レスリー・キャッスル、アンジェリタ・ゴンザレス。写真:Ken Etzel 】

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サンパチ:登りつづける者たちへの賛歌

by 横山勝丘(パタゴニア・クライミングアンバサダー)

無題

2017年8月9日午前9時10分。ぼくとパートナーの長門敬明は、パキスタン、カラコルムヒマラヤの中央部に位置する標高6,615メートルのK7 West山頂に立った。「立った」というよりは「しゃがみ込んだ」というほうが正確だったかもしれない。ほんの少し前から、足元は雪庇との境界線も見極められないほどの濃いガスに覆われていて、いま立っている数歩先が空間であることを手探りで確認するのがやっとだった。

爆発するような喜びに包まれるか、もしくは制御の利かないほどに落涙でもするかとの期待はものの見事に裏切られた。これからはじまる標高差2,400メートルにもおよぶベースキャンプまでの道のりを思うと、山頂での時間さえも妙に落ち着かなかった。簡単な握手をして互いに写真を数枚撮っただけで、ぼくたちは5分で山頂をあとにした。

【Badal PeakからK7 Westへとつづく長大な山稜。写真:増本亮 】

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パタゴニア初のテレビ広告:私たちの「公有地」のために

 

 

パタゴニアはほぼ45年間にわたるビジネスにおいて一度もテレビ広告を流したことがありませんでした。けれどもアメリカの公有地がこれまでに前例のない危機にさらされているいま、私たちは地球環境の保護を提唱してきたという私たちの歴史を継続させるべく、テレビという放送電波で私たちの声を流しました。

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海が教えてくれた私の生き甲斐と、サーフィンが教えてくれた私の生き方

by 武知実波(パタゴニア・サーフィン・アンバサダー

①サーフィンと私。
「生き甲斐」について考えてみる。国語辞典によると、「生き甲斐」とは、「生きるに値するもの。生きていくはりあいや喜び。」であるそうだ。私はこの「生き」る「甲斐」を、海に教わってきたように思う。1歩水に足を入れる。陸にいたときに、見栄や欲でできた鎧を背負っていたことに気づく。父が削ってくれた、私だけのボードに乗り、沖へ向かう。いったん海に入れば自身も自然の一部と化す。海は不要なものを私の体からおろしてくれて、そして教えてくれる。自分がどんなに無力であるか、そして自然との同調こそ最も人間的で自然的、そして合理的であるということを。

海と関わり合って生きていく。その過程で経験することのすべてが私の生き甲斐であり、きっとこれからもそう。海と私をつなげてくれたのは、大好きな両親。そして両親が海と関わる仲介役に選んだのが、「サーフィン」だった。徳島県阿南市で生まれ育った私は、幼少期から両親と弟と海に向かう日々を過ごした。契機は8歳のとき。いまでも覚えているのは、あるときパッと「サーフィンしたい」という文言が降りてきて父に宣言したこと。私のサーフィン人生はここからはじまった。中学2年生から世界ジュニアサーフィン選手権の日本代表を4年連続経験し、高校3年生のときに日本プロサーフィン連盟公認のプロサーファーとなり、同年ルーキーオブザイヤーを受賞した私は徳島大学に入学し、海外のツアーをおもに転戦する。たくさんの勝ち負けを経験してきたが、海外に出ることで試合の何十倍もの数の、新たな場所、人、文化、慣習、そして経験と出会うことができたことこそ最大の財産であり、それらがいまの私を形作っている。

そして、サーフィンに恩返しをする。「私に多くを経験させてくれて、さまざまな物事に対して考えるきっかけを与えてくれたサーフィンに恩返しをすること」 これがいまの私が掲げる目標のひとつだ。今日は私が考えるそのことについて、少しお話ししたいと思う。

【 サーフィンと私。ここから私のサーフィン人生が始まりました。全写真:武知実波 】

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なぜ私たちは公有地について気遣うべきなのか

by ハンス・コール

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アメリカの公有地がどのように管理されるべきかについての討論は、1900年代初期にテディ・ルーズベルト大統領が既存のシステムを築いたときからつづいています。意見の相違の原因は、しばしばエネルギー/資源開発と野生の場所をレクリエーションと野生生物のために保護することのバランスです。パタゴニアは私たちが最も大切にしてきた野生地を保護するために何十年も戦っています。これらの地域は手付かずのままにしておけば最も高い価値をもたらす、卓越した特徴を抱く場所です。これまでの数え切れない戦いにおいて、私たちは連邦政府の公有地がすべてのアメリカ国民に属し、この国の遺産の核を成す一部であるという基本的な考えのもとに結束する草の根団体と地元の人びとを支援してきました。

【 バーミリオン・クリフ国定記念物は滑らかな砂岩と緩やかな台地の地形 。楽観的に再導入されたこの場所には、カリフォルニアコンドルが巣作り、アメリカ西部屈指の夕焼けを誇る。写真:Bob Wick/Bureau of Land Management 】

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祖先の跡をたどって:タヒチからハワイへの航海

by カイウラニ・マーフィー

Hokulea
体を電荷が脈打って流れ、頬の涙を拭った。上腕二頭筋と前腕のあいだに閃いた一筋の青い光が目を刺す。マストの索止めを放し、仲間の乗組員と戸惑いの視線を交わす。耳をつんざくような雷鳴が頭上にとどろく。数日前に登ったばかりの堂々たるタフアレヴァ山の頂上に次の稲妻が火を点ける。

ラグーンから出ると、灰色の煙は炎の上に漂う暗雲と見分けがつかなくなる。ホクレア号が停泊したタヒチのタウティラ村の姿が遠ざかる。霞んだ水平線を稲妻が照らし、前方に無数のスコールが待ち受けているのがわかる。横殴りの雨と激しく打ちつける波で何もかもびしょ濡れだ。艤装を突風から守るために帆の開閉を繰り返す。疲れた体は寒さに震え、素手と素足はふやけてしわだらけだ。

あと 30 夜だけ、と何度も自分に言い聞かせるが、それは徐々に疑問にも思えてくる。

【 アオテアロアからオーストラリアまでの 12 日間の航路のほとんどで遭遇した 悪天候と、7.5 メートルの波に耐える乗組員たち。ホクレア号のシドニー港到着により、 このカヌーがはじめて太平洋の外へ出たことが記録された。写真:John Bilderback 】

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やくしまに暮らして

by 大野睦 (屋久島公認ガイド

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1993年、大学生だった私は父と一緒に6月に屋久島を訪れた。世界自然遺産登録の半年前のことである。それが私と屋久島との出会いで、このとき私は大学を卒業したら屋久島に住みたいと思った。梅雨時期の屋久島に来たにも関わらず、一週間の滞在中に雨に降られることもなく、初夏の南国の海と緑深い森を楽しんで帰り、それから3年後、屋久島に移り住んだ。幼少期より自然が好き、動物が好きだった私が求めていた土地はこの屋久島だと強く確信したのである。その理由は日本であること。海があって山があって川があって、そこに暮らす人びとの社会がある、異国的な憧れや感動とはまた違い、凝縮された日本らしさを屋久島で感じた。その屋久島でガイドとして経験を積んでいくぞと意気込んでいた。

【 いたるところから水があふれてくる。全写真:大野睦 】

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クリーネストライン

アウトドアウェアを製造/販売するパタゴニアの社員、友人そしてお客様のためのブログです。パタゴニアについては patagonia.jp をご覧ください。

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